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朝、ベランダに出る。いつになく大きな陽ざしが、胸の深いところを充たしていく。すると、やはりと言うべきか、きみのことを想う。この陽ざしを分かち合いたい。なにかを身に余るほどに、与えられてしまったとき。自分の器をあふれ出て、こぼれそうになったとき。わたしはそれを、きみに分かち合わないわけにはいかなくなる。ふいに注ぎ込まれてしまった無数のひかりは、わたしをあふれ、わたしたちのあいだをみたし、つぎの空しさへと巡り過ぎていく。失うおそれから無縁の世界。いつだって尽きることなく、与えられてしまう。その安心の中で息をするとき、きっとわたしたちは深いところでどうしようもなく、ひとつでいる。そうして見開いたとうめいな世界で、わたしたちは、ほんとうの朝を迎えにいくのだ。
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今週も、おつかれさまでした。
2023年も1ヶ月が過ぎましたね。いかがお過ごしですか。
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ぼくの住む沖縄は、旧正月の文化が生活の一部です。
旧正月を迎えると、こころなしか海の表情や草木の緑がしずかに映るから不思議です。
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沖縄の土地は今も琉球の神話信仰が息づいていて、
近所のおじいやおばあは、地域の御嶽(うたき:拝む場所のこと)で家系の幸福はもちろん、地域全体の繁栄も合わせてお祈りします。
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そのようにして、僕たちの日常は知らないところで、少なくない人たちからのささやかな「祈り」を注いでもらっている。
それを意識したとき、僕の胸にはやはりあふれてくるものがあるのです。
そしてそのあふれてくる不思議な気持ちを、こちらからも世界に贈りかえしたい気持ちになる。
「祈り」とは、きっとそんなどうしようもなく「あふれてくるもの」(=注がれたもの)に人間がつけた、たよりない名前なのかもしれません。
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そんなことを思いながら、otosata 初となる冒頭の散文詩を書き起こしていました。
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わたしから「あふれてくるもの」と一緒に、このおたよりを贈ります。
あなたの今日が、美しい一日になりますように。
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また来月も、ここでお会いしましょう。
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― まないより
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p.s.